新潟県立新津工業高校に日本建築科があると聞きました。
大工さんから実技が学べるとか。
今、ゲストハウス無我の第二期工事には、
一期目にお世話になった大工さん、工務店さん、皆さん【弟子】をお連れです。
伝統技術は継承しなければなりません。
ベテランの仕事ぶり、
弟子の直向きさを
毎日垣間見て胸が熱くなっています。
あーだこーだ言いません。
高校の日本建築学科、大賛成。
30代半ば、くるよーグサッと、わけもわからない痛みやしんどさ、、、
昔、旅先で旅人たちと語り合ったことがある。洗礼だよねって。
皆同じなのだと妙に安心した。
40代、さらに味をしめ、もっとグレードアップした病状に直面。
原因は、ほぼストレスとホルモンバランスが引き金と説明された。
生きる上で誰もが通る道なのだろう。
通ってきたものとすれば、治療法があるならすんなり治療してもらった方がいい。
自分でどうにかしようって、はっきり言って無理。
周りの人からの理解?はっきり言って無い。
おかげで、人を見る目が養われたかな。
最近友人が、こういう人生の「坂」で闘病している。
心配だけど、心配いらない、
次々と坂はやってくる。克服するしかないの、と伝えます。
・・だったら
・・と言ってもらっていたら
・・こんな人に出会っていたら
犯罪を犯した犯罪者がよく言う言葉らしい。
健康的に幸せに暮らしている大多数の人々は、甘えだと思うだろう。
少年犯罪でも同様に、このタラレバは罪を犯した少年の口から出るらしい。
子供は大人より生活環境や人間関係を選べない分、一つのタラレバで地獄に陥る可能性が高い。
人間って、こんな危うい一本の線の上にいるようなものなのか、、、。
命綱や安全クッションが必要で、それというのは他者からの愛情なのかな。
久しぶりの図書館での昼下がり。
いい記事を読みました。
スーパーのレジでのこと。
高齢の男性がレジを通した品物をその場で全て自分のリュックの中に詰めてもらっていました。
ニコニコ、リュックの口を開けて待っていました。
釣り銭までも、財布の中にレジのお姉さんに入れてもらっていました。
ニコニコ、財布の口を開けて待っていました。
レジのお姉さんもニコニコ対応しています。
一言二言の言葉を交わして、高齢男性は満面の笑みで立ち去りました。
いつもそうなのか、若い店員さんだったからなのか、わかりませんが。
極上の喜びなんですよね、やってもらえるってこと。男性にとって。
すぐに周りの男性の顔が目に浮かびました。
実家の父も、家ではすましているけど、同じようなことをしていそうです。
ITが進み、お金の扱いも無人化する中で、
人間同士触れ合って行くことは、益々高度な技術です。
12月になりました。ゲストハウス無我の一部リノベーションが始まりました。
築100年越えの古民家を購入して以来、【減築】が希望でした。
減築といってもグサッと減ってしまうことはないので、外からは判らないと思います。
健康的にダイエット、くらいになってくれるはずです。
いつもいつも紆余曲折ありながら、減築に辿り着けただけでもヨカッタです。
6年前の開業時は、雲を掴むような中、前に進むことだけで精一杯でしたが、
今回はある程度の予測を持ちながら楽しめています。
工事施工者、デザイナー、コーディネーター、ご近所さん、などなど御厄介になりますが、
特筆すべきは、工事施工者さんが御子息3人伴って一緒に作業されることです。
学生と伺っていましたが、6年経てばすっかり社会人ですよね。
しかも3人兄弟で全員、後継するなんて素晴らしいです。
彼らを見ていると、本当にお父さんが好きなんだと思えて感動します。
今日はそんな姿を見て(こういうの親子鷹って言うのでしょうか?)、
頭の中、兄弟船が流れていました。
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現在、宿泊部門は休業中です。(レンタルスペース、フォトスタジオは営業中です)
そのような中でも宿泊のお問合せをいただいておりますが、あと3ヶ月程お待ち下さいませ。
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今年も残り一ヶ月。巷は忘年会シーズンですね。
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一度、職場の先輩に誘われて年越し詣りのため、岐阜県不破郡にある南宮大社へ行ったことがある。
先輩は看護師でありながら、自営業もして、夫の愛人の子供も育ててしまう、霊感強い、、、
はっちゃけた女性である。
年をとってくると、なかなか友人ができない。そんな中で当時唯一の友人であった。
一年間の反省会。雪の積もった駐車場で車を停め、カウントダウンにやってくるヤンキーを眺めつつ。
私の告白した反省は、医療者の視点では救われようがなかったが、
彼女の持ち合わせている経営者の視点のおかげで地獄から救われたのであった。
翌年も、この年越しをしたくて彼女に願い入れたが、返事はNO。
おまけに「子供ができたのなら、育てたいから教えて」だった。
(注/私が愛人だったわけでは無い)
ともかく、
操縦が上手だった。
一回り近く年上だった彼女の、当時の年齢と同じくらいになった私。
腑に落ちる人間関係、いくつやっていけるかなー。