滋賀県 彦根ゲストハウス無我 ママさんのブログ

漂泊の旅・第二の故郷、としての【宿り】の場所を作っていきます。宿泊される方の思いをしっかり見つめて、模索する日常のあれこれを記します。

生物的に別人

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以前、実家の整理をしていると新品の鉄瓶が出てきたことがあった。

箱に、母の字で私の名前が記されていて、益々謎、、、。

 

全く思い出せない。

 

母が覚えていて、新卒で就職した二年間のうち一回も医者に罹らなかった

 

健康賞の景品だと言う。

 

そういえば、そんなことがあった。

 

職員のうち該当者は僅かなんだと聞かされた覚えがある。

 

二十代の頃は本当に丈夫で、医者に罹ったことがなかったなあ、、。

 

今ではその記録も全てを塗り替えるように、家族中で最多の受診率。

 

自分が二十代の頃、もしコロナ禍になっていたらこの世がどう見えていたのだろう?

 

経験や老い‼︎が重なって、

 

若い頃と生物的に全く別物になったような気がして想像がつかない。

 

ちょっと回りくどかったが、

 

今の若い人たちがとても気の毒でしょうがないと言いたかった。

 

今日、ダンナさんとそんな話をしたって話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴方に会いに行く旅をしていた

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「あなたのご両親はちょうど自分と同じ世代だから、

 例えば今年は掃除機を買った、来年はラジオを買おうか、、

 っていうように一つ一つ買って大切に使っていったはずだよ。

 そういう中で子供を育てていったんだよ。」

と、私が旅でよくリピートしていた宿の受付のおじさんに言われた言葉。

言われなければ、親のことをそんなふうに思うことはなかった。

両親はあまり昔話をしない。

多分、「あの頃はみんな同じだったよ」というだけだろう。

受付のおじさんは、私の理想とする渋さと公平さのバランス感覚に優れた方で、

チェックインの僅かな会話でも永遠を刻みたい人であった。

もうすぐ家の35年ローンを完済するの〜なんて仰っていたこともあった。

月に10万くらいの賃金だよ〜、とも。

今になって思えば、シルバー人材で宿直をされていたのだろうか。

最後にお会いして、もう十数年経ってしまい

宿が閉鎖したことを知ったが

おじさんはお元気にしていらっしゃるのか分からない。

たくさんの旅人に愛情を注ぐ姿が目の奥に焼き付いている。

 

 

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雪見障子

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当館の築100年以上の母屋には、雪見障子というものがあります。

 

ゲストハウス開業準備中に、障子を貼り替えるときに建具を分解して

 

びっくり‼️

 

これぞ日本の匠、だと感動したのです。

 

スライドさせてガラスを見せる部分の「仕業」が凄い。

上手く言葉で表現できないのですが、おせち料理の飾り蒲鉾みたいなのです。

 

一本の支柱が少し削って曲げられ、

 

その弾力で障子一面を支えているのでガラス面が現れる。


(・・・・さっぱりわからないですよね。)

雪見障子の分解の仕方もわからなかったので、

 

実家の父(表具師)に電話して指導を受けました。

 

建具そのものが「組み細工」でした。

 

ネジやクギが使われず、こんなスライド式建具になっているなんて感動。

 

しかし、

 

障子を貼り替えなければ一生気づかないことだったと思いますが、

 

この仕組みってどうなっているんだろう、、と

 

日頃から疑問を持たなかった自分が情けないですけどね。

 

それにしても、父の指導の仕方が偉そうだったなあ(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若者よ

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旅の宿。

 

自分が旅をしていたとき、

 

同室者は法律を勉強するために大学に入り直したという女性がいた。

 

ある少年犯罪の手記を読んで衝撃を受けたことがきっかけ。

 

もう20年近く前のドミトリーの宿での話。

 

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旅の宿。

 

自分が始めることになってすぐに。

 

珍しい、、女性の大工さんがお客さんでいらっしゃったことがあった。

 

東日本大震災の復興のために大工として東北に行くのだという。

 

その方には、滋賀県内に多く残るヴォーリズ建築の「見かた」を教わった。

 

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苦難に立ち向かう人物がこんなふうに

 

また現れてくるんだろうと思い返している。

 

パンデミックの世に。

 

今はまだ身動きが取れないが、

 

きっと若い人たちは立ち向かおうとしているはず。

 

ゲストハウスは本来、

 

そういう若者の往来に役に立ってもらえる宿りの場だと思っている。

 

その日が来る日まで、耐えようーーーー。

 

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アオジとのソーシャルディスタンス

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渡り鳥のアオジがここ2〜3年でちょっと変化した。

 

ゲストハウス無我の日本庭園を縦横無尽に歩き、啄むのだが、

 

最近は普通の野鳥並みに数メートルで逃げてしまうようになった。

 

もしやソーシャルディスタンス⁉︎

 

以前は、ニワトリくらいの至近距離でアオジを見ていた。

 

踏みそうになったこともある。

 

以前が異常で、今が正常なんだと思うが、

 

ちょっとさみしい。

 

北方から秋に来て、5月くらいまで過ごし南下するアオジ

 

今、ウチに訪れる唯一のインバウンドさん。

 

メールチェックは忘れずに

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嬉しいことに、旧知の方が彦根に来たので寄ってくれようと

 

連絡をくださいました。訂正、くださっていました、、、。

 

こちらがメールに気づかず、再会はかないませんでした。

 

残念、、、申し訳ないです。

 

ゲストハウス無我を、思い出してくれて、気にかけてくれて、

 

本当にありがとうございます。

 

久しぶりにお会いしたら、がっつきそうです。

 

会話に飢えていて(笑)。

 

時間はあるのに、のんびり人と会えない世の中ですが、

 

またお会いできる日を楽しみに待ちます。

 

 

 

 

 

 

山カフェ、ありがとう

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『風雪のビバーク』松濤明 著

という本の紹介をNHKラジオ「山カフェ」の中でなされて初めて知った。

この登山家の山での遭難の記録・遺書であるというのだ。

1949年(昭和24年)の事、享年26歳だという。

当時、ベストセラーになったようだ。

これだけで胸が締め付けられるが、必ず読もうと思った。

 

ラジオをよく聴く私は、

この「山カフェ」と「飛ぶ教室」が心の支えになっている。

観察力、洞察力、発進力、の高いマスターで心地よく、

この時代に求められる内容でいつも勉強になる。

 

まだこの本を手にしていないので、分からないのだが

コロナ禍の今、読んでよかったと思えるような気がしている。