元旦の夕刻、関ヶ原町のある国道を彦根方面へ車で走っていると、
ヒッチハイクの人を見つけて乗っけてあげました。
非常に短い距離のご希望で、1分に満たないくらいの乗車だったと思います。
そうと思えば、もう矢継ぎ早。どこの大学、、泊まるところは、、なんて
次々に訊いてすみませんでしたー。
車のラジオは緊急放送に切り替わったっきりでした。
ハザードつけて一旦停止しました。周りの車も同様でした。
JRの架線や道路脇の電線が大きく波打っていました。
ラジオのアナウンサーの声に私は涙が溢れてしまいました。
大津波、テレビを観ていないて逃げてください、と。
なんということだ。
さっき別れた大学生さんがすごく心配になって、
交換したインスタのメールで安否確認をしました。
その後も何回かのやりとりの後、無事電車にも乗り、
目的地までも辿りついたようだったので安堵、落着しました。
袖触れ合うも、、、を正に体現した出会いだったと思いました。
しかし、
心はざわついたままです。
ゲストハウス無我に辿り着くと、本日のお客さんが到着していました。
とりあえず、一つまた安堵しました。
しかし、
まだ心はざわついたままです。
能登を含め、北陸には知り合いが何人もいます。
とても心配で、気の毒としか言いようがありません。
どうかご無事で。