滋賀県 彦根ゲストハウス無我 ママさんのブログ

漂泊の旅・第二の故郷、としての【宿り】の場所を作っていきます。宿泊される方の思いをしっかり見つめて、模索する日常のあれこれを記します。

無我夜話② ~恋愛と結婚~

無我夜話②      ~恋愛と結婚~


今のダンナ(今の?)は、お互い旅の途中ゲストハウスで知り合いました。

このエピソードは結構積極的にゲストさんにお話しています。

昔の元彼とよく似ていたので、最初からタイプってやつだったのでしょう。

おかげさまで、タイプの人と結婚できました。

長い旅でした。

昔の元彼を知っている人がもしダンナをみたら、

ソックリで驚くかもしれません。

どうでもいいですね。

若い頃の恋愛では、自分と「同じ」だと感じることを求めすぎていました。

ダンナには、自分といかに「違う」かということを楽しめています。

あ、もちろんダンナにはその許容力が絶大です。

恋愛経験も結婚にはそれほど役には立ちません。

が、だからこそ後腐れなく恋愛はしたほうがいい。

看護師時代、多くのオジイサンオバアサンとお話してきましたが、

100%ありますよ恋愛話。

死ぬときお金が無いより、恋愛話が無い方が恥ずかしい!

と私は思います。

充実のサポート


ゲストハウス無我の、

インスタグラム凍結やツイッターのっとり。

すぐさま、電話とメールでお知らせがきました。

対処方法まで指導を受けました。

電話はウチの元ヘルパーさん。

メールはウチの文芸部員さん。

なんという、ありがたいことでしょう!

この、充実したサポート体制‼︎

感謝🙇

無我夜話③ ~80年代の歌っていいよね~

「マイケルジャクソン」「サザン」「山口百恵」いいよねー

ってゲストさんたちの会話が聞こえてきました。

大学生の一人旅同士、盛り上がっています。

ウズウズ……ガマンできず会話に混ぜてもらいました。

大学生は1990年代後半の生まれなので、

生まれる20年くらい前の歌謡なのですね。

それはもうクラッシック。

youtubeや親御さんの影響で、

なんで知ってるの?ってくらい詳しい若者もいます。

「今との違いは何だろう?」と聞かれたので、

「そうね~その時代の歌は躁状態、今の歌は鬱状態」と答えました。

旅人は、旅先で故郷を感じたり、他人の空似の人に出逢ったりします。

昔の流行歌の時代に生きてみる「旅」も出来るかもしれませんね。





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「摂待」と「お下がり」

先日、用事があり彦根市内の済福寺にお邪魔いたしました。

住職様は不在でしたが、そのお母様と高校生のお嬢様に、

思いもかけず丁寧な摂待を受け、感動に浸りました。

折しも地蔵盆の時節、話題もそれです。

お地蔵さんが落書きをされたり、あろうことか盗まれた町もある。とか。

ま、本当にバチ当たりな。など、住職のお母様と会話して。

帰るときに、お地蔵さんの「お下がり」ですから、

とお菓子もいただきました。

檀家でもない初対面の者にも別け隔てなく摂待する。

接客の原点ですね。

敢えて「摂待」という字を使ったのは、おもてなしを受けながら、

謡曲の『摂待』を思い出していたからです(謡曲好きなので)。

日本の文化って、庶民の隅々まで美意識や生活習慣として、

浸透しているのが凄いと思います。勝者や権力者のものでないところが。

済福寺の皆様には、お忙しい中対応していただきありがとうございました。

この町に住んで良かったと、再認識しました。

 

山岳事故について

ちょっといつもと違う話題です。

ですが、いつも心底から離れない話。

決着がついていないのですが、

書いておこうと思いました。

昨年春、信州のある山で従姉妹を亡くしました。

花の写真を撮るとき滑落、

救助されましたが、即死だったようです。

突然の訃報、すでに荼毘にふしたとの報せ。

あー疲れていたんだ、きっと。

電話を聞きながら私はそう思っていました。

主婦業に加え、親の介護をして、

好きな山登りでストレスを解消していたのでしょう。

また中高年の山岳事故があったと、

心無いネットの書き込みを見てしまい、

せめて親御さんの目や耳に入らないようにと願いました。

しかし、私もこのときまではネット民と同じで、

中高年の登山には冷やかな気持ちでした。

でも、変わりました。

理解してあげたい。

山に介護疲れを慰めてもらいたい気持ちを。

70代でも90代の親の介護をしている日本です。

どんなに年老いても、まだ年上が存在する。

報われない、救われない、介護する側。

どうすればいいんでしょうね。

亡くなった従姉妹は、

私が社会人になってから長く姉のような存在で、

これからも相談にのってほしい人だったんです。

山に「返せ」と言いたい。

私に時間が出来たら、

従姉妹の御主人と友人(遭難時同行していた)に会い、

話しを聞きたいと願っています。

無我夜話①

夏休みのピークが過ぎて、

ゲストさんの数が少なくなってきました。

その代わり⁉︎

濃くなってきました。

毎夜、

人生相談です。

不登校、夫婦別居、移住、転職、

介護職、職場の人間関係、住宅ローン、夢が無い、

などなど。

重いものを背負って旅に出ていらっしゃる方々。

口に出してください。

撮った写真を見せるように。

心の整理ができます。

思わぬ発想が生まれて、問題解決の糸口が見つかりますよ。

私も旅人時代そうでした。

普通がいかに尊く、素直さがどれほど大切か、を思い知らされる旅でした。

ゲストさんが、我々に打ち明けてくださることに敬意をもって、

時間の許す限りお付き合いいたします。

なんの変哲もないゲストハウスですが、

それだけは頑張ります。

なんか抹香臭い仙人みたいですが、

極めて俗っぽいスタッフのでご安心ください⁉︎

元看護師カゼを吹かせて②

ゲストハウス開業の直前まで、

病院で看護師をしていましたが、

あるとき、

「戦争体験者の話を直に聞けるのは、私のいるような職場は最適。

    高齢の患者さんと接するわけで。しかも、急がなくては!」

と突然気付きました。(気付いた自分ってエライ!)

戦後70年を超え、体験者は今90歳前後の方々なので、

寿命であれ、病気であれ、この世を去っていきます。

その前にできるだけ、お話をこの耳で聞こう、

いや、聞かなければならない!と早速動きました。使命感のような。



勤務時間内、ベッドサイドや清潔援助をしながらとか。

そのうち、特に印象的だったお話があります。

肺の疾患で寝たきりになっておられる当時90歳くらいの男性は、

若いとき兵隊で南方の国(国名は忘れました、すみません)に行ったよ、

って話はじめてくれました。

私は、戦争に行っても戦死せずにちゃんと日本に帰ってこれて、

こうやって長生きできたのは強いんですね、

って言いました。

すると、「違うんだよ」と

衝撃的なことを教えてくれました。

まず、「戦死」については、

戦地で死ぬから戦死と言うが、ほとんどは病死なんだよ、と。

敵とやりあってかっこよく死んだ兵隊など一人も見なかった、と。

衛生環境の悪い中、それは食べるな飲むなと注意されても、

自分勝手にしてしまう人がいて、お腹をこわし、そのまま病死。

次に、「生還できた」のは、

執着が強くなかったからだ、と。

どうにかして自分だけ日本に戻ろうと、

上官に必死にお世辞をつかっている兵隊がいたそうですが、

叶わずに気がおかしくなり、結局病死。

自分は、どうにかなるさと、半分諦めて生きていたのがよかったのだと、、、

そう、昨日の出来事のように話してくださいました。

映画のようにカッコ良くはないのですね。

そして、この方はこの話を聞いた数日後に亡くなられました。

この方も含めて何人かの男性・女性に戦争のお話を伺いましたが、

封印して生きてきたのだろうと想像がつきました。

でも話し出すと饒舌、

カラー映像で伝わってくるようでした。

あれから数年が経ち、おそらくその何人かの方々も、

ほぼこの世を去ったことでしょう。

残された時間は益々少なくなっています。


現在私はゲストハウスで時折、

若い人に私が聞き取ったこの話をすることがあります。



私自身、何か問題を抱えたとき、

この方のお話を大いに参考にして、

「執着」と「諦め」をふるいにかけるようになりました。



世の中は理不尽なことだらけでも、

旅に出た先のゲストハウスで、

生きるヒントになる話があり、ディスカッションがあり、

またまた旅に出たくなる、、、、、

そうあって欲しいなと思います。