無我夜話⑤

無我夜話⑤
 
 
 
先日の夜は吹雪。
 
本日宿泊のリピーターさんとコタツでおしゃべり。
 
近況報告、バブル世代の話、オリンピック、将棋、などなど。
 
岬の突端にいるような、古民家のガラス戸を叩く強風。
 
この強風は冬の名物。
 
日本海側が荒れた日の、琵琶湖を渡る強風です。
 
にも負けずちょっと大声でおしゃべり。
 
オーナーが外へ出てアルミ雨戸を閉める。
 
これも強風の日のいつもの風景。
 
このリピーターさんの凄さは、普通の人、であること。
 
奇をてらうこともない、濃いわけでもない、狂気性もない。
 
どんな人にも親和し、楽しんでおられる。
 
どの世代でも、素直さって大切だと思い知らされる。
 
無我の偉大なリピーターさんです。
 
 
 
 
 
                                ↓無我の庭のアオジ。餅のカケラを食べています。↓

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リニューアルオープンのお知らせ、並びに仕事復帰した女将の闘病報告。

2017年10月に子宮筋腫+腸切除の手術をして4ヶ月が経過しました。いろいろ(注1)ありましたが、復調してきました。ただの子宮筋腫でしょ、って思われがちな病気ですが、個人差があるようで、私にとっては大変な闘病の日々でした。盛りだくさんのエピソードがありますが、医療的な記載が多くなりますので、苦手な方は(注1)を見ないようにしてくださいね。
 
これまでに、お見舞いのお言葉などをたくさんいただきました。常連客の方々を始め、御近所の方々の恩情(何か手伝えることがあれば言ってね、など)や、異業種の方々も快く業務的な配慮をしてくださったりしました。中でも調剤薬局の薬剤師さんは御自分の実体験から同情してくれたようで、親身なアドバイス(長い目で看てあげなさい、など)は看病するダンナの心の支えになっているようです。実際お立ち寄りしてくださった同業者の方々は、市内のホテルの社長を始め、遠くは沖縄の離島のゲストハウスのオーナーも立ち寄っていただいたり、中には鍋料理を作りに来てくださったゲストハウスのオーナーさんもいました。正直、思ってもいなかった数の励ましです。皆さまの人生の一片に我々が存在しているのだと思えて光栄です。お忙しい中、さまざまなメッセージをくださったこと、御礼申し上げます。
尚、休業期間中に無我の御利用を検討されていたお客様においては、御期待を叶えられなかったことをお詫びいたします。
 
2018年2月9日から私・女将が仕事復帰し、営業再開しました。ひそかに(笑)古民家の共用スペースもリニューアルしており、我々の人生観が見える空間になったと思います。直球な魂のやりとりにお応えできますよ。 これからも益々よろしくお願いいたします。
 
(注1)
☑︎3年程前、手術適応と指摘されながらも、二つ返事では応じられなかったのは、人生で二度目の全身麻酔への躊躇のほかに、筋腫を分身・同士のように思っていたから。そんなことを思っている間に、筋腫は巨大化し強度の貧血を引き起こし、日常生活に支障を及ぼすようになっていた。
☑︎手術の決心がついた決定打は、無我に宿泊された熊本地震の災害ボランティア経験者の方の話を聞いたこと。被災地のガレキやゴミの処理の壮絶さが、己自身に投影された。
☑︎決心がついたから、さあ明日手術ねというわけではなく、手術に備える治療などで半年以上は経過をみる日々でもあった。
☑︎肉親や友人にも不測の事態や不幸がこれでもかとばかり重なった。これも壮年期の宿命かと受け入れつつ、同時進行しつつ、かといって充分に応じ切れない病身をなさけなく思う日々でもあった。
☑︎当初、手術は腹腔鏡下の予定だったが、開腹手術に変更された。私自身二度目の手術であり、腹腔内の癒着が相当酷かったためだ。この変更はよくあることで、ほぼ100%想定内だった。
☑︎想定内といえば、腸の切除も然り。産婦人科医(担当医)と消化器外科医のコラボとなった。
☑︎約9時間に及ぶ大手術となり、担当医は退院まで毎日「壮絶だった」「最高峰といえるよ(=大変な手術だった)」と言われ続けた。困難な手術を引き受けて、やり遂げてくださったこの外科医に出会て私は最高に幸運だった。
☑︎手術が終わって、手術室からベッドで退室する時、ダンナの泣き叫ぶ声を聞いて「ああ手術終わったんだ。生きているんだ私。」と認識した。
☑︎しかし、手術創の痛みが強く、案の定、硬膜外麻酔は効かず、カタボン15/hで循環血液量を維持しているので誰も鎮痛剤を追加してくれず、このおとなしい私(笑)が、唸り声をあげて夜を過ごす。大部屋なのに。死んだほうがよかった、と泣いた。
☑︎待つことほぼ一日経ち、「かわいそう」と言ってくれる人が現れた。その人はペンタジンの入った注射器をすでに持っていた。その痛み止めはよく効いて、痛みのレベルが格段に下がった。念願の鎮痛剤を射ってくれただけでも有難いのに、かわいそうとまで言ってくれたその人は手術翌日の夜勤のナースだった。谷底に落ちたとき助けを求めて叫んだが、体力も失せるから諦めていたときに手を差し出してくれた救世主に出会うことができた。
☑︎ペンタジンはよく効いたが、悪夢という副作用のおまけ付き。その内容は文章化不可。
☑︎術後食事開始の途端に、サブイレウス。絶食三日で自然治癒。
☑︎術後三日目、来てもらっていた実家の母が体調を崩し休日診療所に受診。
☑︎術後四日目、台風で周辺は河川氾濫の危機。ツイッターをみると近所の人が自主避難していると知り、夜中に連絡するとダンナも母も熟睡。体調の悪い私の母を負ぶって浸水の町を彷徨うダンナを想像。ダグラス窩ドレーンを引き回しつつ、展望テラスで深夜を過ごした。
☑︎術後五日目、ダグラス窩ドレーンは抜去され、シャワーを浴びる。術後からアイスノンを枕にしないと寝付けないようになっていた。看護師時代もそういう患者さんをたくさんみてきたが、自分もそうなっている不思議。
☑︎術後六日目、体調を崩していた母が同じ病院に緊急入院した。むしろ私はホッとした。ダンナには短期間に二回も入院手続きをしてもらったことになった。ちなみに私の父はアッと言う間に隣県の自宅へ帰っており、私の術後の経過も母の入院も見ていない。が、この立ち位置は結果的に好判断だったと多方から高評価だった⁉︎ それはどうであれ、緊急時に「人」は出る。
☑︎退院に向けて、そう、帰ってから一体どうやって食事の準備をしていくのか。宅配サービスを検討、ネットでにらめっこ。地方都市の不十分さを痛感するばかり。もう一つ、
私の入院中にしておきたかったことが、、家人がお世話になっているこの病院のがん相談支援センターの認定看護師さんとの面談。私の入院中のプライマリーナースにお願いして設定してもらった。一年ぶりに話をするのだが、この認定看護師さんの面影に何かの縁を感じている自分である。
☑︎術後十二日目、退院。心配されていたアレルギー症状が退院後出て、再度救急外来受診した。
☑︎現在、術後四ヶ月、食事量の調節の可否で体調が左右されるが、いつもダンナに相談しつつ回復へ前進中。 以上。
 

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闘病中③

女将・典子ですが、手術するために(10月中旬)、再び入院しています。

予定通り腹腔鏡下でオペになります。

この日のために6か月間、月一回注射(子宮筋腫を縮小させる)を射ち

効果はあったようでよかったです。

今更ですが、その注射の影響が辛かった‼︎と言わせてもらいます。

6か月前の重度の貧血も改善し、風邪もひかず、

歯医者もすませ、美容院も行き、期日前投票もした、と。

あとは、大事な人との人間関係を悪化させずオペ室に入ること。

無我のリピーターで韓国人のKさんが、以前言っていました。

「行ってらっしゃい、の時は喧嘩していてはダメですよ」って。

「離婚じゃー」とか言ってはダメ。心穏やかに入室します。

このような事情で、しばらくゲストハウス無我を休館いたします。

元気になって、また皆様にお目にかかれることをたのしみにしております。

それまで、皆様もお健やかにお過ごしくださいませ。

無我夜話④

福島第一原発20キロ圏内のため、現在は福島市内に避難生活だという、女性が先日宿泊されました。『決意』を京都の神社で誓ったそうです。自分自身に。今は立ち入れない故郷にいつか戻れたら、町のために公務員になり一生を捧げる、と。ウチで打ち明けるつもりがあったのか、成り行きかわかりませんが、貴重な話をしていただけたことに間違いはありません。思えば予約の電話でも、何か感じるものがありました。そんなTさんに言いたかった言葉がたくさん
ありましたが、全て否定されそうな気がして躊躇しました。それでも、申し上げました。「御自分を大切に。その上で、出来ることを一つ一つするしかないんじゃないか」と。一つ一つね、、と復唱して微かに頷いたTさんでした。


上記の記事はちょうど二年前に書いて保存してあったものです。

この二年、いろいろな人にTさんのことを問いかけました。

皆んな真剣に耳を傾けて考えてくれました。

「独り身だから犠牲になってもいい、悲しむ人がいないから、ではなくて!

まず自分を大切に思ってくれる人を作るべきだ」と皆の意見です。

私も同感です。

Tさんの現在の動向はわかりません。が、時間が経って少し視野が

変わったとしても、変わってなくても、

またフラっと立ち寄ってお互い近況報告したいものです。

 

無我夜話② ~恋愛と結婚~

無我夜話②      ~恋愛と結婚~


今のダンナ(今の?)は、お互い旅の途中ゲストハウスで知り合いました。

このエピソードは結構積極的にゲストさんにお話しています。

昔の元彼とよく似ていたので、最初からタイプってやつだったのでしょう。

おかげさまで、タイプの人と結婚できました。

長い旅でした。

昔の元彼を知っている人がもしダンナをみたら、

ソックリで驚くかもしれません。

どうでもいいですね。

若い頃の恋愛では、自分と「同じ」だと感じることを求めすぎていました。

ダンナには、自分といかに「違う」かということを楽しめています。

あ、もちろんダンナにはその許容力が絶大です。

恋愛経験も結婚にはそれほど役には立ちません。

が、だからこそ後腐れなく恋愛はしたほうがいい。

看護師時代、多くのオジイサンオバアサンとお話してきましたが、

100%ありますよ恋愛話。

死ぬときお金が無いより、恋愛話が無い方が恥ずかしい!

と私は思います。

充実のサポート


ゲストハウス無我の、

インスタグラム凍結やツイッターのっとり。

すぐさま、電話とメールでお知らせがきました。

対処方法まで指導を受けました。

電話はウチの元ヘルパーさん。

メールはウチの文芸部員さん。

なんという、ありがたいことでしょう!

この、充実したサポート体制‼︎

感謝🙇

無我夜話③ ~80年代の歌っていいよね~

「マイケルジャクソン」「サザン」「山口百恵」いいよねー

ってゲストさんたちの会話が聞こえてきました。

大学生の一人旅同士、盛り上がっています。

ウズウズ……ガマンできず会話に混ぜてもらいました。

大学生は1990年代後半の生まれなので、

生まれる20年くらい前の歌謡なのですね。

それはもうクラッシック。

youtubeや親御さんの影響で、

なんで知ってるの?ってくらい詳しい若者もいます。

「今との違いは何だろう?」と聞かれたので、

「そうね~その時代の歌は躁状態、今の歌は鬱状態」と答えました。

旅人は、旅先で故郷を感じたり、他人の空似の人に出逢ったりします。

昔の流行歌の時代に生きてみる「旅」も出来るかもしれませんね。





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