彦根ゲストハウス無我の女将のブログ

漂泊の思い・第二の故郷、としての【宿り】の場所を作っていきます。パンデミックの中、模索する日常のあれこれを記します。

挨拶

 

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「これが落ちたら全員死ぬぞ」、、、昨年引率した修学旅行で載った四国地方

 

ロープウェイ内で男子高校生が言った。閉鎖空間で機械物の中にいると考える。

 

この人たちと一緒に死んでしまうのだろうか、、、、。

 

 

 

 

もっと遡って十数年前、看護師で西日本の或る病院に勤務してしていた時、

 

患者さん(暴力団抗争の銃撃で担ぎ込まれた組員の男性)が

 

集中治療室から一般病棟に転棟する際、私が担当になった。

 

救急の主任医師一名、研修医一名、看護師の私一名の計三名で、ベッドを搬送する。

 

この場合、かなり快方の向かっていたの搬送中の急変などの可能性は低い。

 

病棟の看護師へ申し送り(特殊な患者背景だが病態としては簡単)をして

 

済むのであった。

 

しかし、この三名の頭の中は同じ想像で渦巻き、心臓の高鳴りが最高潮であったはず。

 

そう、さっきまで集中治療室のドアには警官が二十四時間体制で警護していたわけで、

 

【報復】される可能性のある患者であった。なぜ搬送時には警官が護送しない⁉︎

そんな渦巻きの中、エレベーターに乗り込み階上へ、、、

 

お願いですから途中の階で止まらまいで、、、と願いも虚しく

 

ある階でボタンが押された。

 

一瞬にして緊張がたかまり私はマフィア映画の場面(杖が拳銃になって報復された)が

 

浮かんだ。

 

開いた、、、、、院内の患者さん(高齢男性)がエレベーターのドアの外に!

しかも杖を持って!!

「すんませんなあ、よろしいかな」とニッコニコのご老人。医師は快く招き入れた。

 

一緒に階上へ同室したが、【刺客】かもしれない、と心臓はバクバク。

 

、、、、結果はおかげさまで全て無事。

 

昨日のことのように思い出されるヒトコマ。

 

この暴力団員のお兄さんは、私と生年月日が同じであったので

 

思い重ねることがあり

 

心の中で別れの挨拶をした。

 

もし彼が極道らしくない受傷者であったら心の挨拶はしなかったが。

 

【痛い】すら訴えてこなかった彼は、あまりに血圧が高いことが三日ほど続いたので

 

ベテラン医者が「本当は凄く痛いんだろう。極道は言わない。

 

こっそり鎮痛剤使ってやって」と言い当てた。

 

その通りに対応すると血圧も正常、表情もやわらいだのだった。

 

集中治療室にいる間、自発的に言葉を発することが無かったのは、

 

肝が座っているせいか、銃撃で被弾という衝撃的な経験をしたせいか、

 

と推察するしかない。

 

生きている限り、自分の誕生日にはセットで思い出すのだろう。

 

向こう様は思い出さないけどネ。