滋賀県 彦根ゲストハウス無我 ママさんのブログ

漂泊の旅・第二の故郷、としての【宿り】の場所を作っていきます。宿泊される方の思いをしっかり見つめて、模索する日常のあれこれを記します。

友の死

f:id:norimurata:20220410124744j:image松本駅のホーム】

 

 

 

 

突然にもたらされた

遠方の友人の訃報の一報。

一昼夜、泣きくれ煩悶した末に鉄路で松本へ向かった。

奇しくも初めて私が受験で松本へ行ったのも同じ早春の季節だった。

私より3歳ほど年下の彼女とは、同じ職場で公私のわたって濃密な青春時代を過ごした。

お互いの実家を行き来したこともあった。

それぞれ所帯を持ち、看護職の一線を離れ、私が滋賀に移ってからは

メールか電話で年に1、2回連絡をとる付き合いであった。

おそらく、変わっていない昔のままの部分と

私の知らない壮年期後半の心身の成長や衰えや苦悩をどんなふうに抱えていたのかは

推し測ってみるしかなかった。

 

荼毘に伏される前日、永遠の眠りについた彼女にご自宅で再会した。

無念なのかな、無念でないわけがないよね、、、

脳血管障害で急死。治療も入院もせず、自宅で死の床に着いた。

思い返すと、若い頃によく夢のような将来を言い合っていたが

「家を建てたい」「女の子を産みたい」「娘の名前は決めている」などなど。

あれもこれも有言実行していることに気がついた。

御主人や実母さんから、お話を窺うと更に人生の幕引きまでデザインし誰よりも早く

決行したように思えてきたのである。

前から頭痛があり、御主人は医者に行くように勧めていたようだが

彼女は行きたがらずにいた。

実母さん曰く、亡くなる一週間前に孫(彼女の長男)を

自宅から実母宅(10キロくらいか)へ

往路はマラソンさせ、復路を車で彼女が迎えに行く、

ということを連日繰り返した、というのだ。

実母さんの教育方針で、ありがちなベッタリ母娘ではなく、

当然ベッタリなおばあちゃん孫関係でもなかったので、

実母さん自身がこの行動に戸惑ったらしい。

「なんで頭痛もあったのに、あんなことしたのかねえ」と笑って仰っていた。

まさに、遺伝子のリレー。

そう思った。

高校生の長男さんは、気づいていたかもしれない。

気づいていなかったとしても、

大人になるにつれて、この時の母親の気持ちがきっと判るようになって

将来の強い支えになるに違いない。

実母さんから何度も出た言葉、、、、【決断】

決断をした娘を讃えるように誇らしげに。

実母さん自身の人生(以前聞いたことがある苦労話)に重ねるように思えた。

 

公私共に濃密だった頃、

「成長したねえ〜」と、彼女の話を聞いてたびたび私はそう言うことがあった。

晩年の話を近親者から聞くと、僭越ながらやっぱり同じ言葉を絞り出す。

成長したねえ〜って。

 

 

この世に生を受けたものは何かしら闘いの連続、それが人生なのかもしれない。

決断と勇気と決断と勇気と、、、の繰り返し。

遺された御家族の悲しみは大きく、

時間が経つにつれ波のように寄せてくるものかと思って切ないが、

未成年の長男さんも長女さんの

二人の面持ちをみていると、自分達より辛い人のことを考えて行動できる子供達に違いない

と確信してしまった。

そんなふうに感じたれる家庭を作りあげて、、、凄いよ、、、尊敬!

 

 

 

 

 

 

一言言わせて、

 

なぜ失いたくない人から逝ってしまうーーーー!!!!