中学校の同じクラスに、男子だけれど女子として生きている(性同一性障害)
Yがいた。
別のクラスには、女性同性愛者のKがいて
私はそのKに好かれてしまっていた。
ある日、Kの取り巻きの女子2人に「なぜKの気持ちを分かってあげないのか!
いつも私たちはその思いを聞かされている!冷たすぎる!」と
教室の前の廊下で泣いて訴えられた。日常でも、学校のキャンプ旅行でも、
彼女達はKが語る私の話を散々聞かされていると。実際私がKと会話したのは、
少ししかなかったので、いろいろな想像を膨らませて物語っていたようだ。
当時、元気だった私は「仲良くしたいのなら素直に直接言えばいいでしょ」
という主旨のことを泣いている取り巻きに言った。
きっと物影からKが様子をうかがっていたんだろう、、、、。
はあ、、と自分の教室に戻ると
すかさず「Tさん(私の名前)も大変ねえ〜♡」とYが駆け寄ってきた。
Yには女子に言えないことも話せたし、Yが苦手なスポーツ競技には代理で出場
してあげたし、、、まあエピソードには事欠くことはなかった。
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こんな中学時代だったのって、大人になって話すと
【それって当たり🎯の人生だよ。楽しすぎる。】と言われることが多い。
確かに。
LGBT、マイノリティ、など日常的に見聞きする言葉になってきた昨今。
でも、昔々からあったのよね。
自己主張強く見えるけど、他人に対して観察力・洞察力が高く
他者への思いやりを沸々と秘めている、と中学時代の彼等を通して思う。
ネット社会じゃなかった分、腹をさぐるのも腹を割って話すのも(腹だらけね)
単刀直入でよかったなあ。
社会との関わり方を学ぶ宝庫だった、中学校。
今彼等がどういう人生を送っているのか全く知らないけれど。
みんな私のこと覚えているのかいなーー?
忘れてたら承知せんよーーーー!