十数年前、旅の途中にドミトリーの宿の同室者から窺った話。
私が当時看護師をしていたために、古い思い出話を聞かせてくださった。
その方は70歳近い女性で、お若い時に自宅近くの病院でボランティアをしていた。
戦争中、負傷して心身に障害が残るなどした元日本兵ばかりが
入院する病院だった。
とても気立ての良い若いナースがいたのだが、ある患者(元兵士)に情が移り、
結婚すると言い出したので、その人も含め周りはみんな反対した。
腕やら足やら戦争で失っている人であった。
そんなに反対されるのは、心身の障害が酷かったのかもしれない、、とも思った。
でも、生真面目なそのナースは駆け落ちのようにその患者と病院を去った。
現代にはもう元日本兵を療養させる専門病院など無いが、
戦後しばらくは一生介助を受けなければならないような
傷を負った患者を収容する病院があったことに驚いた。
いくらナースであれ、普通の幸せを求めなければならないのに、
とその方は昨日のことのように悔やんでいた。
駆け落ち同然の二人が幸せだったか否かは、その人も結果は分からない。
が、他者に尽くすことと犠牲になるということの違いは
幸せかどうなのかということを尺度として持っていないとめちゃくちゃになる。
その判断が、戦争というものでおかしくなってしまうのだろうか。
今、コロナ時代を戦争と見做している話が多い。私もそう思う。
普通さや幸せを求めてイイのさ!と思う。