一番のお気に入りモーニング。岐阜市の「キャラバンサライ」のモーニングセット。
10年前と変わらず370円也。コーヒーおかわり可。ウエイトレスさんとのおしゃべりも◎
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いつか書こうと思っていたこと。
愛知・岐阜の喫茶店文化、について。
私は出生地が愛知で、育ったのが岐阜。
途中、バリバリの若き時代は信州で学業と就職、宿業に転職するまでの数年間は、
中京圏を一旦出たおかげで
いかにこの地の喫茶店文化が並外れているのか、客観的に考えることができる。
・・・究極から言う。
喫茶店は生活の一部、なんてもんじゃない。人生そのもの。
産湯。末期の水。
なのだ。
笑うでしょう。
でも、信州でいうなら【山や温泉】の文化、
今私が暮らす滋賀なら【祭り】の文化が当てられる。
時代と共に捨ててしまったものがあったが、捨てなかったものがそれらなのだ。
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信じられないかもしれないが、
病気が進行し自分でももうダメかなと思い始めた患者さんが、
最後に「喫茶店のモーニング行きたかったな」と言う人を何人か見てきた。
決して信州の人は言わない台詞だ。
岐阜の農村でどうしても喫茶店(モーニング必須)がほしくて、
話し合った結果、村内のある家のお嫁さんに白羽の矢が向けられ開店することに、、、
とか、珍しくない話である。
名古屋だと独居老人の生存確認に、喫茶店が一役担っているときいたことがある。
マスターからケアマネジャーに連絡がいく、など。このあたりの話は当然レベルかな。
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しつけ、人生相談、告白、失意、生を実感する、、、、こんな時に行く所が喫茶店。
町の銭湯のような場所だといえる。
そういえば、友人のお祖母様のお葬式に行ったとき、
「よくおばあちゃんと行っていた喫茶店に行きたいから付き合って」と当日の夜に
お互い喪服で行ったことがあったっけ。
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なぜ、愛知・岐阜の人々が喫茶店文化を育んできたのか?
今回だけでは到底語りつくせず。
またいつか、シリーズで自論を展開するつもりなので、
宜しくおつきあいのほどを! 続く。
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