リニューアルオープンのお知らせ、並びに仕事復帰した女将の闘病報告。

2017年10月に子宮筋腫+腸切除の手術をして4ヶ月が経過しました。いろいろ(注1)ありましたが、復調してきました。ただの子宮筋腫でしょ、って思われがちな病気ですが、個人差があるようで、私にとっては大変な闘病の日々でした。盛りだくさんのエピソードがありますが、医療的な記載が多くなりますので、苦手な方は(注1)を見ないようにしてくださいね。
 
これまでに、お見舞いのお言葉などをたくさんいただきました。常連客の方々を始め、御近所の方々の恩情(何か手伝えることがあれば言ってね、など)や、異業種の方々も快く業務的な配慮をしてくださったりしました。中でも調剤薬局の薬剤師さんは御自分の実体験から同情してくれたようで、親身なアドバイス(長い目で看てあげなさい、など)は看病するダンナの心の支えになっているようです。実際お立ち寄りしてくださった同業者の方々は、市内のホテルの社長を始め、遠くは沖縄の離島のゲストハウスのオーナーも立ち寄っていただいたり、中には鍋料理を作りに来てくださったゲストハウスのオーナーさんもいました。正直、思ってもいなかった数の励ましです。皆さまの人生の一片に我々が存在しているのだと思えて光栄です。お忙しい中、さまざまなメッセージをくださったこと、御礼申し上げます。
尚、休業期間中に無我の御利用を検討されていたお客様においては、御期待を叶えられなかったことをお詫びいたします。
 
2018年2月9日から私・女将が仕事復帰し、営業再開しました。ひそかに(笑)古民家の共用スペースもリニューアルしており、我々の人生観が見える空間になったと思います。直球な魂のやりとりにお応えできますよ。 これからも益々よろしくお願いいたします。
 
(注1)
☑︎3年程前、手術適応と指摘されながらも、二つ返事では応じられなかったのは、人生で二度目の全身麻酔への躊躇のほかに、筋腫を分身・同士のように思っていたから。そんなことを思っている間に、筋腫は巨大化し強度の貧血を引き起こし、日常生活に支障を及ぼすようになっていた。
☑︎手術の決心がついた決定打は、無我に宿泊された熊本地震の災害ボランティア経験者の方の話を聞いたこと。被災地のガレキやゴミの処理の壮絶さが、己自身に投影された。
☑︎決心がついたから、さあ明日手術ねというわけではなく、手術に備える治療などで半年以上は経過をみる日々でもあった。
☑︎肉親や友人にも不測の事態や不幸がこれでもかとばかり重なった。これも壮年期の宿命かと受け入れつつ、同時進行しつつ、かといって充分に応じ切れない病身をなさけなく思う日々でもあった。
☑︎当初、手術は腹腔鏡下の予定だったが、開腹手術に変更された。私自身二度目の手術であり、腹腔内の癒着が相当酷かったためだ。この変更はよくあることで、ほぼ100%想定内だった。
☑︎想定内といえば、腸の切除も然り。産婦人科医(担当医)と消化器外科医のコラボとなった。
☑︎約9時間に及ぶ大手術となり、担当医は退院まで毎日「壮絶だった」「最高峰といえるよ(=大変な手術だった)」と言われ続けた。困難な手術を引き受けて、やり遂げてくださったこの外科医に出会て私は最高に幸運だった。
☑︎手術が終わって、手術室からベッドで退室する時、ダンナの泣き叫ぶ声を聞いて「ああ手術終わったんだ。生きているんだ私。」と認識した。
☑︎しかし、手術創の痛みが強く、案の定、硬膜外麻酔は効かず、カタボン15/hで循環血液量を維持しているので誰も鎮痛剤を追加してくれず、このおとなしい私(笑)が、唸り声をあげて夜を過ごす。大部屋なのに。死んだほうがよかった、と泣いた。
☑︎待つことほぼ一日経ち、「かわいそう」と言ってくれる人が現れた。その人はペンタジンの入った注射器をすでに持っていた。その痛み止めはよく効いて、痛みのレベルが格段に下がった。念願の鎮痛剤を射ってくれただけでも有難いのに、かわいそうとまで言ってくれたその人は手術翌日の夜勤のナースだった。谷底に落ちたとき助けを求めて叫んだが、体力も失せるから諦めていたときに手を差し出してくれた救世主に出会うことができた。
☑︎ペンタジンはよく効いたが、悪夢という副作用のおまけ付き。その内容は文章化不可。
☑︎術後食事開始の途端に、サブイレウス。絶食三日で自然治癒。
☑︎術後三日目、来てもらっていた実家の母が体調を崩し休日診療所に受診。
☑︎術後四日目、台風で周辺は河川氾濫の危機。ツイッターをみると近所の人が自主避難していると知り、夜中に連絡するとダンナも母も熟睡。体調の悪い私の母を負ぶって浸水の町を彷徨うダンナを想像。ダグラス窩ドレーンを引き回しつつ、展望テラスで深夜を過ごした。
☑︎術後五日目、ダグラス窩ドレーンは抜去され、シャワーを浴びる。術後からアイスノンを枕にしないと寝付けないようになっていた。看護師時代もそういう患者さんをたくさんみてきたが、自分もそうなっている不思議。
☑︎術後六日目、体調を崩していた母が同じ病院に緊急入院した。むしろ私はホッとした。ダンナには短期間に二回も入院手続きをしてもらったことになった。ちなみに私の父はアッと言う間に隣県の自宅へ帰っており、私の術後の経過も母の入院も見ていない。が、この立ち位置は結果的に好判断だったと多方から高評価だった⁉︎ それはどうであれ、緊急時に「人」は出る。
☑︎退院に向けて、そう、帰ってから一体どうやって食事の準備をしていくのか。宅配サービスを検討、ネットでにらめっこ。地方都市の不十分さを痛感するばかり。もう一つ、
私の入院中にしておきたかったことが、、家人がお世話になっているこの病院のがん相談支援センターの認定看護師さんとの面談。私の入院中のプライマリーナースにお願いして設定してもらった。一年ぶりに話をするのだが、この認定看護師さんの面影に何かの縁を感じている自分である。
☑︎術後十二日目、退院。心配されていたアレルギー症状が退院後出て、再度救急外来受診した。
☑︎現在、術後四ヶ月、食事量の調節の可否で体調が左右されるが、いつもダンナに相談しつつ回復へ前進中。 以上。
 

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