滋賀県 彦根ゲストハウス無我 ママさんのブログ

漂泊の旅・第二の故郷、としての【宿り】の場所を作っていきます。宿泊される方の思いをしっかり見つめて、模索する日常のあれこれを記します。

元看護師カゼを吹かせて②

ゲストハウス開業の直前まで、

病院で看護師をしていましたが、

あるとき、

「戦争体験者の話を直に聞けるのは、私のいるような職場は最適。

    高齢の患者さんと接するわけで。しかも、急がなくては!」

と突然気付きました。(気付いた自分ってエライ!)

戦後70年を超え、体験者は今90歳前後の方々なので、

寿命であれ、病気であれ、この世を去っていきます。

その前にできるだけ、お話をこの耳で聞こう、

いや、聞かなければならない!と早速動きました。使命感のような。



勤務時間内、ベッドサイドや清潔援助をしながらとか。

そのうち、特に印象的だったお話があります。

肺の疾患で寝たきりになっておられる当時90歳くらいの男性は、

若いとき兵隊で南方の国(国名は忘れました、すみません)に行ったよ、

って話はじめてくれました。

私は、戦争に行っても戦死せずにちゃんと日本に帰ってこれて、

こうやって長生きできたのは強いんですね、

って言いました。

すると、「違うんだよ」と

衝撃的なことを教えてくれました。

まず、「戦死」については、

戦地で死ぬから戦死と言うが、ほとんどは病死なんだよ、と。

敵とやりあってかっこよく死んだ兵隊など一人も見なかった、と。

衛生環境の悪い中、それは食べるな飲むなと注意されても、

自分勝手にしてしまう人がいて、お腹をこわし、そのまま病死。

次に、「生還できた」のは、

執着が強くなかったからだ、と。

どうにかして自分だけ日本に戻ろうと、

上官に必死にお世辞をつかっている兵隊がいたそうですが、

叶わずに気がおかしくなり、結局病死。

自分は、どうにかなるさと、半分諦めて生きていたのがよかったのだと、、、

そう、昨日の出来事のように話してくださいました。

映画のようにカッコ良くはないのですね。

そして、この方はこの話を聞いた数日後に亡くなられました。

この方も含めて何人かの男性・女性に戦争のお話を伺いましたが、

封印して生きてきたのだろうと想像がつきました。

でも話し出すと饒舌、

カラー映像で伝わってくるようでした。

あれから数年が経ち、おそらくその何人かの方々も、

ほぼこの世を去ったことでしょう。

残された時間は益々少なくなっています。


現在私はゲストハウスで時折、

若い人に私が聞き取ったこの話をすることがあります。



私自身、何か問題を抱えたとき、

この方のお話を大いに参考にして、

「執着」と「諦め」をふるいにかけるようになりました。



世の中は理不尽なことだらけでも、

旅に出た先のゲストハウスで、

生きるヒントになる話があり、ディスカッションがあり、

またまた旅に出たくなる、、、、、

そうあって欲しいなと思います。