滋賀県 彦根ゲストハウス無我 ママさんのブログ

漂泊の旅・第二の故郷、としての【宿り】の場所を作っていきます。宿泊される方の思いをしっかり見つめて、模索する日常のあれこれを記します。

鳥人間を想う

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日本の終戦から75年という日。

今年はコロナ禍で、鳥人間コンテストは開催されませんでした。が、

このコンテストが戦争と関連があることを書き留めておきます。

彦根の松原海岸で例年行われている鳥人間コンテスト(以下、鳥人間)は、

参加する大学のOBやOGの方々が、

ゲストハウス無我にもお泊まりいただいています。

あるOBの方からお聞きしたお話によれば、

戦後の日本で航空関係というのはイコール戦争の象徴と見做され、

研究開発も遅れてしまった時期があったようです。

平和になって高度成長してきても、

航空業界が遅れてしまっていることを憂慮した人たちが

発起して生み出したのが、鳥人間コンテストだったというのです。

当初は、空軍で軍人だった人が作成した飛行機だったり、

あまり飛ばないものであったり、

とにかく熱意で頑張っていたようです。

それが近年では、琵琶湖の対岸まで飛行し折り返してくるような高レベルです。

今あるハイテクなものも、突然出現したわけではなく、

戦争があった事実に繋がっているわけです。

自分が知らないだけで、

戦争の影響が基になっていることは意外に多いのかもしれません。

 

この方が当館に泊まってお話を窺えたおかげで、

鳥人間により深い思いを込めることが出来ました。

現役の大学生さんも、関係者の方々も、

今年は本当に残念で堪らないとお察しいたしますが、

単なるコンテストやお祭りイベントではない鳥人間ですから、

さらに精進して彦根にお越しいただけるのだと確信してお待ちしております。

 

鳥人間コンテストの成り立ちの話は、数年前の私の記憶だけを頼りに記しております。)

 

 

 

 

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買い物で立ち寄ったお店の入り口で、非接触式体温計で店員さんに測ってもらったら

 

「37.8度です。体調悪いですか?」と言われてビックリ。

 

というか、暑いです、、、。

 

南西向きで全面ガラス張りの入り口で、猛烈に暑い場所でした。

 

特に入場制限されたわけでなく、店に入りましたが、

 

だんだんと気になって速攻で帰宅、腋窩の体温計で測ると、

 

「34.9」

 

なんだ平熱。ホッとしました。(最近平熱は35度前後)

 

額の体温計は気温に左右されますね。され過ぎです。

 

それにしても、37.8と言われて帰る車の中では一気に妄想が駆け巡り、

 

なんとなく体調の異変を探っていました。

 

病院勤務時代も非接触式は正確さが今一つで(高値がでる)使わなかったし、

 

室温が高すぎだった、そんなはずはない、と半分は冷静ではいましたが、、、。

 

もちろん元気なので、もう一度別のお店で買い物をし直しました。

 

少なくともふらーっと立ち寄るようなくらいのお店巡りは、まだ控えた方がいいのでしょうね。

 

 

 

当館もゲストさんに体温測定(腋窩)していただいていますが、

 

気温や室温にも留意しないといけないと思い知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドリームボール

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私個人的に今、幸運だと思うことは、

安楽死についてどう思うかという議論をキャッチボールできるオバチャンが身近にいること。

バイト先の方なのだが、はるかに予想外のドリームボールを投げてくるオバチャン。

これだけでもバイトは有意義だと感じている。

 

過去において幸運だったと思うことは、

多々あるが、

中でも、

高校の担任ではない男性の先生が、

「君ら絶対死ぬな。殺人者になって人から石を投げられたり罵られたりしても自殺はする

な。」

と言ってくれたこと。学生運動経験者の先生ってどこか違っていた。

これだけでも高校に行った価値があったと思っている。

 

後悔もある。

その先生が「この中に『アカシアの雨が止む時』を歌える者はいるか?」といわれたが

挙手出来なかった。

(完璧に歌えたのに。さすがに教室でアカペラで恥ずかしかった。

あのとき独唱していたらヒロインになったであろうか。いやなれていない。)

この歌は、学生運動の象徴的な歌だったようだ。

このまま死んでしまいたいって歌詞だが、絶対死ぬなと言ったり、

大人は裏腹。いい加減。なのかも。

 

 

 

空き家問題は高齢者問題

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夏の盛りになって

 

町内の空き家の繁り過ぎ雑草や木の枝が通行に邪魔問題が

 

目立ってきました。

 

自治会長であるがゆえ、皆さんから問題の空き家の主人の様子を窺いますと

 

【高齢者】【欲高い】【話が通じない】という共通点があります。

 

お手上げなキャラクターです。

 

空き家問題=高齢者問題、明確になりました。

 

問題解決は、自分がこういう高齢者にならないように生きるしかないのでしょうか。

 

人形の家

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90年代よく仕事終わりで同僚とカラオケに行きました。

そしてよく歌っていた「人形の家」。

後輩が覚えてしまい、その人のレパートリーになっていました。

私のこと思い出してくれているかな。

 

先日、歌手の弘田三枝子氏が亡くなって思い巡らせています。

記憶にある限り私が物心ついて覚えている最古の歌謡曲だと思います。

曲を聴いて悲しくて泣いたんです。

母親になだめられお菓子をもらったかもしれない、、、。

どんなに美しく、どんなに愛されても、捨てられて忘れられることがあるのはショックでした。

マセていました笑。

当時、近所のお兄さん(社会人や大学生など)に

「大きくなったらモテるよ」と言われていた私だったそうですが(母いわく)

そのわりにモテませんでしたネ。

 

 

 

 

移住を考えている人

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東京の友人(女性)からのメールで、東京の様子を時々窺っている。

コロナ感染の身近さが、地方とは違うように思う。

彼女曰く「上司の親戚が突然亡くなって、

コロナ陽性だったと判明したので接触者はPCR検査をした」などといった内容が毎回あがる。

今のところ、おかげさまで私にこの身近さは聞こえて来ない。

彼女の会社は残念ながら倒産の見込みで、この秋には失業することも打ち明けられた。

その日まで精一杯やれることはやり尽くしたいと述べていた。

今まで会社のいろいろな話題を提供してくれていたので、本当に寂しい。

いや、今でも信じられないが、これが現実なのか、、、。

彼女は技術者で単身なので(おまけに旅人)、東京に拘らずに新しい職場を

全国レベルで見つけようとしている。

ゲストハウス無我が関わらせてもらう移住者の動向なども、

少しは情報提供しながら、これからもしっかり仲良くしていきたいと思っている。

職場のランチタイムに、よくゲストハウス無我の話題を出してくれていたようで。

東京のような大都市で、

うちのような宿のことがおしゃべりされていたなんて気恥ずかしいと思っていたが、

最高に光栄なことだと今思っている。

まだまだ何も気が抜けないが、

少しでも心落ち着く一時(いっとき)があることを願って止まない。

 

 

 

 

移住向けシェアハウスの日常

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当然なのですが、

移住するというのは家を見つけて住民票を移すだけのことではないと再認識しました。

先日、彦根移住をスタートさせた方のサポート(おこがましい)をして、

自分たちの7年前の姿を思い出しました。

ご近所さんとの折衝をする緊張感。これだこれだ。

役所などの手続やお金の交渉などの100倍は緊張します。

不文律なことが町内では、でーーーんと幅を利かせていますので。

でも、そこを汲み取って折り合いをつけていかなければ移住は成立しません。

移住は準備段階は【自分のもの】ですが、

住み始めれば【他人のもの】だと思った方が良さそうです。

さらに、

夢を壊すようですが、初年度は初年度の、7年目は7年目の、壁があります。

移住向けシェアハウスを導入中ですが、それに関した濃い日常になっています。

我々も勉強しつつ(かなりズッコケていますが)、

少しでも移住に興味のある方は向かってきてくださいね。

今のところ、リモートで面談しつつアプローチしていますよ。

 

 

コロナ時代、手間の省略が増えて喜んでいる半面、

時間的余裕が出来てついついお節介をしたりされたりがある、そんな夏の日。

 

 

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