滋賀県 彦根ゲストハウス無我 ママさんのブログ

漂泊の旅・第二の故郷、としての【宿り】の場所を作っていきます。宿泊される方の思いをしっかり見つめて、模索する日常のあれこれを記します。

闘病中③

女将・典子ですが、手術するために(10月中旬)、再び入院しています。

予定通り腹腔鏡下でオペになります。

この日のために6か月間、月一回注射(子宮筋腫を縮小させる)を射ち

効果はあったようでよかったです。

今更ですが、その注射の影響が辛かった‼︎と言わせてもらいます。

6か月前の重度の貧血も改善し、風邪もひかず、

歯医者もすませ、美容院も行き、期日前投票もした、と。

あとは、大事な人との人間関係を悪化させずオペ室に入ること。

無我のリピーターで韓国人のKさんが、以前言っていました。

「行ってらっしゃい、の時は喧嘩していてはダメですよ」って。

「離婚じゃー」とか言ってはダメ。心穏やかに入室します。

このような事情で、しばらくゲストハウス無我を休館いたします。

元気になって、また皆様にお目にかかれることをたのしみにしております。

それまで、皆様もお健やかにお過ごしくださいませ。

無我夜話④

福島第一原発20キロ圏内のため、現在は福島市内に避難生活だという、女性が先日宿泊されました。『決意』を京都の神社で誓ったそうです。自分自身に。今は立ち入れない故郷にいつか戻れたら、町のために公務員になり一生を捧げる、と。ウチで打ち明けるつもりがあったのか、成り行きかわかりませんが、貴重な話をしていただけたことに間違いはありません。思えば予約の電話でも、何か感じるものがありました。そんなTさんに言いたかった言葉がたくさん
ありましたが、全て否定されそうな気がして躊躇しました。それでも、申し上げました。「御自分を大切に。その上で、出来ることを一つ一つするしかないんじゃないか」と。一つ一つね、、と復唱して微かに頷いたTさんでした。


上記の記事はちょうど二年前に書いて保存してあったものです。

この二年、いろいろな人にTさんのことを問いかけました。

皆んな真剣に耳を傾けて考えてくれました。

「独り身だから犠牲になってもいい、悲しむ人がいないから、ではなくて!

まず自分を大切に思ってくれる人を作るべきだ」と皆の意見です。

私も同感です。

Tさんの現在の動向はわかりません。が、時間が経って少し視野が

変わったとしても、変わってなくても、

またフラっと立ち寄ってお互い近況報告したいものです。

 

無我夜話② ~恋愛と結婚~

無我夜話②      ~恋愛と結婚~


今のダンナ(今の?)は、お互い旅の途中ゲストハウスで知り合いました。

このエピソードは結構積極的にゲストさんにお話しています。

昔の元彼とよく似ていたので、最初からタイプってやつだったのでしょう。

おかげさまで、タイプの人と結婚できました。

長い旅でした。

昔の元彼を知っている人がもしダンナをみたら、

ソックリで驚くかもしれません。

どうでもいいですね。

若い頃の恋愛では、自分と「同じ」だと感じることを求めすぎていました。

ダンナには、自分といかに「違う」かということを楽しめています。

あ、もちろんダンナにはその許容力が絶大です。

恋愛経験も結婚にはそれほど役には立ちません。

が、だからこそ後腐れなく恋愛はしたほうがいい。

看護師時代、多くのオジイサンオバアサンとお話してきましたが、

100%ありますよ恋愛話。

死ぬときお金が無いより、恋愛話が無い方が恥ずかしい!

と私は思います。

充実のサポート


ゲストハウス無我の、

インスタグラム凍結やツイッターのっとり。

すぐさま、電話とメールでお知らせがきました。

対処方法まで指導を受けました。

電話はウチの元ヘルパーさん。

メールはウチの文芸部員さん。

なんという、ありがたいことでしょう!

この、充実したサポート体制‼︎

感謝🙇

無我夜話③ ~80年代の歌っていいよね~

「マイケルジャクソン」「サザン」「山口百恵」いいよねー

ってゲストさんたちの会話が聞こえてきました。

大学生の一人旅同士、盛り上がっています。

ウズウズ……ガマンできず会話に混ぜてもらいました。

大学生は1990年代後半の生まれなので、

生まれる20年くらい前の歌謡なのですね。

それはもうクラッシック。

youtubeや親御さんの影響で、

なんで知ってるの?ってくらい詳しい若者もいます。

「今との違いは何だろう?」と聞かれたので、

「そうね~その時代の歌は躁状態、今の歌は鬱状態」と答えました。

旅人は、旅先で故郷を感じたり、他人の空似の人に出逢ったりします。

昔の流行歌の時代に生きてみる「旅」も出来るかもしれませんね。





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「摂待」と「お下がり」

先日、用事があり彦根市内の済福寺にお邪魔いたしました。

住職様は不在でしたが、そのお母様と高校生のお嬢様に、

思いもかけず丁寧な摂待を受け、感動に浸りました。

折しも地蔵盆の時節、話題もそれです。

お地蔵さんが落書きをされたり、あろうことか盗まれた町もある。とか。

ま、本当にバチ当たりな。など、住職のお母様と会話して。

帰るときに、お地蔵さんの「お下がり」ですから、

とお菓子もいただきました。

檀家でもない初対面の者にも別け隔てなく摂待する。

接客の原点ですね。

敢えて「摂待」という字を使ったのは、おもてなしを受けながら、

謡曲の『摂待』を思い出していたからです(謡曲好きなので)。

日本の文化って、庶民の隅々まで美意識や生活習慣として、

浸透しているのが凄いと思います。勝者や権力者のものでないところが。

済福寺の皆様には、お忙しい中対応していただきありがとうございました。

この町に住んで良かったと、再認識しました。

 

山岳事故について

ちょっといつもと違う話題です。

ですが、いつも心底から離れない話。

決着がついていないのですが、

書いておこうと思いました。

昨年春、信州のある山で従姉妹を亡くしました。

花の写真を撮るとき滑落、

救助されましたが、即死だったようです。

突然の訃報、すでに荼毘にふしたとの報せ。

あー疲れていたんだ、きっと。

電話を聞きながら私はそう思っていました。

主婦業に加え、親の介護をして、

好きな山登りでストレスを解消していたのでしょう。

また中高年の山岳事故があったと、

心無いネットの書き込みを見てしまい、

せめて親御さんの目や耳に入らないようにと願いました。

しかし、私もこのときまではネット民と同じで、

中高年の登山には冷やかな気持ちでした。

でも、変わりました。

理解してあげたい。

山に介護疲れを慰めてもらいたい気持ちを。

70代でも90代の親の介護をしている日本です。

どんなに年老いても、まだ年上が存在する。

報われない、救われない、介護する側。

どうすればいいんでしょうね。

亡くなった従姉妹は、

私が社会人になってから長く姉のような存在で、

これからも相談にのってほしい人だったんです。

山に「返せ」と言いたい。

私に時間が出来たら、

従姉妹の御主人と友人(遭難時同行していた)に会い、

話しを聞きたいと願っています。